<プロローグ>2003.10
2003年9月14日、私達夫婦にとって忘れることのできない日となりました。
三浦海岸にて夫婦揃ってバプテスマを受けました。私がイエス様を心にお迎えしたのが2年半前。今まで受洗しなかった理由は、夫の救いを待っていたからです。

佐藤ひろみさんの「夫の救いを祈る時」と言う本をご存知ですか?壮絶な夫婦の軌跡を書き綴られた物です。神様はそれぞれの夫婦に、神様の目から見てもっとも良い計画を用意してくださっています。只中にいるときにはとても「最善」とは思えないこともありますが、後から振り返れば、やっぱり全てが時に叶って美しく、全てが益とされました。主に感謝します。約2年間祈り続けてきた夫の救いの道のりについて、主がどんなにすばらしいことを私たち夫婦にしてくださったのか、主に栄光をお返しするために少しづつ証させていただきたいと思います。

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人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。
(ルカ19:10)
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まずは、私とイエス様との出会いについてお話します。

2000年4月、長男のお友達のママから誘われて、あるゴスペルクワイヤーに参加し始めました。当時私は全く宗教に疎くて、ゴスペルがキリスト教の賛美であることも知りませんでした。もともと、歌うことが大好きで、学生時代のコーラス部、卒業生による合唱団、社内コーラス部など、人生の大半は歌う集団に属していました。ですから、ゴスペルの誘いも、単に近所で安い会費で歌えると言うことだけで参加しました。

私が参加したグループのディレクターは全く日本語がしゃべれないアメリカ人女性。歌う曲は全て英語でした。私は英語が全然できないので、歌詞の意味が全く分りませんでした。でも、歌詞の中に「アーメン」とか「ハレルヤ」とか出てきて、さすがに疎い私でも「どうも宗教くさいぞ」と言うことは理解できました。

話は私が中学時代にさかのぼりますが、中学の音楽の先生がロシア正教会の信者でした。先生率いる合唱団の定期演奏会では、毎回聖歌のステージがありました。わたしはその合唱団に10年以上所属していましたが、一度も先生から宗教的なお誘いがあった覚えはありませんでしたし、団員の中で誰かがクリスチャンになったと言う話も聞いた記憶がありませんでした。ですから、「聖歌を歌うこと」と「クリスチャンになること」は、私の中では全く無関係でした。

ただ、記憶に残っているのは、聖歌のステージのなんともいえない充実感。就職した後は練習不足で、演奏会の全ステージに参加することが出来なくなりましたが、聖歌のステージだけは必ず参加していました。
それほど、私にとって聖歌は特別なステージでした。

ゴスペルクワイヤーでは、歌詞の意味は全く分らないにもかかわらず、とても楽しい時間が過ごせました。カラオケで味わう開放感とは全く違う、もっと深い充実感を感じていました。これが「聖霊の満たし」の初体験だったのかもしれません。とにかく、もっと満たされたい、もっと、もっとと言う気持ちになり、別のクワイヤーにも参加するようになりました。そのクワイヤーはディレクターが日本人女性の上、クリスチャンも多く、歌詞の意味についての解説もあり、「ゴスペルは福音である」ことをはっきりと示していて、歌っている時の充実感はどんどん深まっていきました。

そして、また、同時に、「私が感じている充実感は、不完全な物なのではないかしら?」と言うことに気づき始めてきました。

2001年2月、友人の誘いで黒人女性のゴスペルワークショップに参加しました。そのディレクターは恰幅の良い体全体から、賛美の喜びと神様への愛があふれていました。参加者の中にはクリスチャンでない人たちもたくさんいたと思いますが、その人たちがどう思うかと言うことは彼女の頭の中にはないように思われました。ただただ、神様のすばらしさを賛美することだけに焦点を当てているようでした。そのワークショップの中で私は、「薄いレースのカーテンの向こうにある完全な充実感」を手に入れるために、もっと神様のことを知る必要があることを理解しました。

そして、「神様をもっと知りたい人!」と言う招きに応じていました。後から考えるととてもこっけいですが、このとき私はまだ、神様を受け入れることになるとは夢にも思っていませんでした。

そのワークショップに一緒に参加していた友人も、同じ日に招きに応じていました。そして彼女の友人でクリスチャンの女性から、教会に遊びに来ないかと誘いを受け、友人と二人で小さな教会を訪れました。それが、登戸エクレシアキリスト教会です。

ニコニコしたアメリカ人の牧師夫妻が招きいれてくださった部屋は、彼らに似つかわしくない、コタツの置かれた和室でした。そこで行われた小さな聖書の学びの中で、恥ずかしながら私はうまれて初めて聖書を手にし、イエスキリストが歴史上実在の人物であったことを認識しました。
また、2回の学びを通して、2000年前にイエス様が私の罪の為に十字架にかかってくださったことを知り、また、それを信じることによって、救いが得られることを知り、受け入れる決心をしました。この日からイエス様が私の心の中に住んでくださるようになりました。

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私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。
私たちは御心によりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、
このようにあらかじめ定められていたのです。
(エペソ1:11)
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