<夫の救いを祈るようになったきっかけ>2003.10
2001年4月、私は神様を受け入れる決心をしたとき、夫に報告しました。
夫は、ミッション系の高校に通っていて、週に3回の礼拝と聖書の授業を3年間、経験しています。
その夫の反応は「ふぅん、別に良いんじゃない。キリスト教自体は悪い物じゃないし、信仰の自由があるし、別に和代が信じるのはいいと思うよ。でも、僕はいいからね。必要ないから。」と言う物でした。

このとき私は「うかつにも」、反対されなくて良かったと思ってしまいました。

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妻達よ。自分の夫に服従しなさい。
たとい、御言葉に従わない夫であっても、
妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
(Tペテロ3:1)
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それから3ヵ月後、2001年7月のことです。
クワイヤー仲間の婚約式がありました。まだベビークリスチャンの私にとって、教会で行われる行事にはとても興味がありました。本当は家族で夫の実家に帰省する予定だったのですが、どうしても婚約式に出たくて夫に相談すると、ひとりで残ってもいいと言ってもらえました。

婚約式の中で、牧師先生ご自身の経験について証がありました。
牧師先生ご夫妻は、結婚当初は二人ともノンクリスチャンで、先に奥様がクリスチャンになり、その1年後に牧師先生自身もイエス様を受け入れたとのことでした。
「結婚した頃、二人揃ってノンクリスチャンだった時はとても楽しかった。二人ともイエス様を受け入れてからはもっともっと楽しい毎日になった。でも、彼女だけが受け入れている1年間は、とても寂しかった。一緒にいても心が遠くに離れているような感じだった。」
ものすごいショックでした。涙が止まりませんでした。

私たち夫婦はその当時、結婚9周年を迎えていました。でも、この世的な価値感で見れば、充分仲良し夫婦でした。私は夫とお揃いが大好きで、パジャマもTシャツもコップも歯ブラシもお揃いです。そして夫もまた、「お揃い」を拒むことなく受け入れてくれていました。
そんな私たちが、人生でもっとも大事な信仰が「お揃い」でないなんて!どうしてこんな大切なことに数ヶ月もの間、気づかなかったのだろう。私は「薄情者!」と頭を殴られたような思いでした。

婚約式から帰宅するとすぐに、エクレシア教会の牧師に電話をかけ、夫の救いを祈っていく決心を伝え、祈りのサポートを依頼しました。その時に牧師から与えられた御言葉が、Tペテロ3章1節でした。
「一般的に日本人の男性はプライドが高いので、妻から薦められるものを受け入れるのは難しいと思う。だから、決して言葉で伝えようとせず、態度だけを示すように。私をはじめ他の人が導く者として主に用いられるように祈ること」と言われれました。

私は、少しでも自分のほうが良く知っていると思われるものになると、途端にえらそうな態度を取るタイプでした。また、どんな事でも良いと言われると簡単に信じてのめりこみ、夫にも薦めてはブレーキをかけられることが良くあったので、福音も私が直接彼に話せば夫はかえって受け入れにくくなることは予想できました。
ですから、私は牧師に与えられた御言葉を実行する決心をしました。私からは決して直接誘わないこと、彼には黙ってひたすら祈り続けることを。

ここまでの中にすでにたくさんの主の恵みがあります。
家族旅行に行かず、婚約式に出る事が許されたこと。
婚約式で、夫の救いを祈るきっかけを与えられたこと。
普段忙しくてなかなか電話が通じない牧師に、一回で電話がつながったこと。
もっとも私にふさわしい御言葉が与えられたこと。・・・・・
主による夫の救いのご計画がいよいよ始まりました。


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主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
(使徒16:31)
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