<夫の挫折と私の試練>2003.10
家族揃って礼拝に参加するようになって約1年半、夫は教会で開かれるほとんどの勉強会・イベントに参加、聖書に従って生活しようとする態度からしても、すでに夫は「どこから見てもクリスチャン」でした。でも、夫はイエス様の救いを受け入れることを拒んでいました。
せっかちな私にとって、1年半の祈りの期間は充分に長すぎる物でした。「あぁ、神様。早くしてください。あなたの救いのご計画を、夫の上にも早く完成させてください。もう待ちきれません」そんな祈りを、ある時は怒りに満ち、あるときは涙にぬれながら私は繰り返していました。


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あなたがたが神の御心を行って、
約束のものを手に入れるために必要なものは忍耐です。
(ヘブル10:36)
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そんな2003年の早春、夫の帰宅時間が遅くなり、休日出勤もするようになりました。「社運のかかったプロジェクトの納期が自分ひとりの肩にかかっている」と言う状況だったようです。ちらりと「仕事が忙しい。納期に間に合いそうもない。困ったなぁ」と洩らしたかと思うと、あっという間に愚痴もこぼせないほど深刻な表情になりました。もし納期に間に合わなければ何十億円の損失がある程の大きなプロジェクトの納期が2ヶ月の間に3つも重なり、万一、失敗すれば懲戒免職も免れないと言う状況を一人で背負っていたようです。ここまでになってしまったのには、彼のマネージメント力が不十分だったことも影響していたと思います。今までもくもくと技術のことだけを考えていた彼にとって、マネージメントと言う新たな境地が歯車の狂うきっかけともなりました。
毎日深夜の帰宅、早朝出勤、土日の休みもなく働き続ける日々・・・。会社に持って行ったお弁当を食べる暇もないようで、中身の入ったままの重たいお弁当箱に、力ない声で「食べるの忘れた」と言う日々が続きました。
肉体的な疲労、睡眠不足、加えてものすごい精神的なプレッシャーの中で、夫は日々衰弱し、生気のない表情になっていきました。
夫の仕事が忙しくなり始めた頃から、私は祈りのサポーターである兄姉達に夫の仕事のことを打ち明け、祈りで支えて欲しいと頼んでいました。子供たちとも毎日3人でお祈りをしていました。でも、あるとき、「この人は死のうとしているのではないか」と言う予感に襲われました。もう死ぬことでしかこの問題は解決できないと思っているのではないかしら?そのことは子ども達には言えませんでしたが、「ふらふらして危ないから、ちゃんと帰ってくるように祈ろう」と言って、毎日子ども達と夫が無事に帰宅するように祈りました。


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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私達は知っています。
(ローマ8:28)
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