<夫婦そろってのバプテスマ>2005.2
私が夫の救いを祈り始めてちょうど2年経った2003年7月、夫は信仰告白をしただけでなく、バプテスマを受けることもすでに心に決めていました。そして、私達夫婦は、9月に行われた教会のファミリーキャンプにてバプテスマを受けることになりました。場所は三浦海岸。当日は波が高くて、バプテスマを受けて波にさらわれ御国に直行か?!と思われるほどでしたが、教会の兄姉達や子ども達に見守られる中、私達は共にバプテスマの恵を受けることができました。
長い産みの苦しみ?を味わった夫は、憑き物が落ちたかのようにすっきりと信仰生活を歩んでいます。
家族の信仰のリーダーとして堅く立ち、家族の為に祈り、御言葉を持って家族を励ましてくれています。家族での礼拝も始まり、そのリードもしてくれています。心配事があるとき、夫婦でともに心を合わせて祈れることは、それだけでもう素晴らしい恵を味わいます。
私達家族が4人で心を合わせて主の前に歩み続け、神様の恵みを人々と分かち合い、クリスチャンファミリーとして主の栄光をあらわしていくことが私達の願いです。



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正しい人の住まいは、
主が祝福される。
(箴言3:33)
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さて、夫の救いを祈る2年の間を振り返ると、神様の恵みにあふれた素晴らしい祝福のときだったと思います。ベビークリスチャンだった私にとって、2年もの間とりなしの祈りをし続けることは良い訓練となりました。
主は、日ごろ私の小さな祈りを聞いてくださり、時に願った以上のものを与えてくださり、「主は祈りを聞かれる方」と言う確信をしっかり与えてくださいました。この期間に私の信仰はまっすぐに主に向かって成長させられました。
その中で、私が最も求めているものに対してすぐに答えをくださらなかったことは、私に忍耐を教えてくださる為の主のご計画だったと思います。実際、感情の起伏が激しく家庭の中で怒りん坊だった私にとって「彼が神のものとなるための無言の振る舞い」はものすごく忍耐を伴いました。何度かこらえきれずに爆発し、主のご計画を台無しにしたことを思い知らされ、そのたびに神様の前に「ごめんなさい」を繰り返してきました。
また、何度も夫の為に祈るとき、夫との結婚生活の中の恵に気づかされ、夫との結婚も神様のご計画であったと言う確信が与えられました。セルフイメージが低く、独身時代から子どもなんて欲しくないと思っていた私でしたが、夫との3年間の結婚生活の中で、「この人となら私にも子育てができるかもしれない」と思えるようになり、結果2人の子どもを授かることができました。子ども達の存在は、私に沢山のことを教えてくれました。神様との出会いのきっかけも子どもがもたらしてくれましたし、子育ての中で数々の自分の欠点と向き合い、神様により頼まなければならない情況が与えられ、神様との関係が強められました。
また、子ども嫌いだった筈なのに自分の子ども達に対して愛情がわきあがり、天の父なる神さまの愛を少し想像できるようにもなりました。こんな小さな私でさえこれほど子どもをいとおしいと思うのだから、完全なる天の御父はどんな思いで、この小さな私をご覧になっておられるのだろう、と思うと感謝と喜びが湧き上がってきます。
これらの沢山の導きと恵の中で、夫が神様を信じてはっきり解ったことは、夫の救いは神様のご計画であり、私に介入できるものではなかったこと、そして、夫の為に祈ることは実は私自身の為に必要なことであったと言うことです。私の祈りの成果は、夫の救いではなく、私自身の成長であったと思いました。夫が救われたとき、私の信仰もゆるぎないものへと成長させられていました。
主のご計画は常に完全で、すべてが時に叶って美しく、すべてが益とされます。

さぁ、次は子ども達が完全に神様に従って人生を歩んで行くことができるように、夫婦でしっかり祈り導いていくことが私たち夫婦の大切な仕事です。これも主が必ず完成させてくださることを信じています。

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苦しみにあったことは私にとって幸せでした。
私はそれであなたのおきてを学びました
(詩篇119:71)
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